トイレ掃除

地元で日本語を教えている外国人、先日は13:30~16:00、中国人女性の相手をした。都心のいくつかのビルの清掃が仕事で、朝は7時に職場に行くとのこと。生き生きと自分の仕事を語った。終わりがけに「お気に入りの写真を見せて、」と云ったら、スマホをくるくる操作して、晴れ着振袖の写真を見せてくれた。スマホ時代になって「お気に入り写真」を持っていない人はまずいない。一人娘さんでこの春、中央大学卒業、卒業式の記念写真である。「おめでとうございます。チェンピャオリャン(美しいの中国語)」私の祝意に彼女はにっこりした。どこか遠くに、60年前、建設道路工事、病院給食婦など汗水たらして4人の子供を進学させたわが母の面影を重ねる。

私の家事手伝い(分担)は、風呂掃除とトイレ掃除である。夏場シャワーだけになったが排水口、浴室カベ水垢、汚れがつく。前は「風呂、掃除しておいたよ」と家人に告げていたがいまは何も云わない。見れば気づく。家人は週4日労働へ、自家に居る時間の多い私の当然のルーティンである。だれも私の風呂掃除、トイレ掃除に御礼を云わない。ゴミ出し、風呂、トイレ、いずれも「出す側」の必須ワーク。家人は「入る側」料理を空気のように日課とする。私はせごどんの妻イトさんへの口ぐせををまねて「よくできました」「ありがたい」とわざとらしく(鹿児島の維新記念館で、イトさんの妹の貴重な録音証言を聴いた)。

写真は、仕事でめずらしく必要になって読んだ本。それにしても夜な夜なテレビ録画ざんまい、本をじっくり読まなくなったなあ。外国人労働者の流入で、ドイツ、アメリカは分断社会になり、トランプ大統領を生んだ。壁は言葉だ。地元密着、我々の地道な努力があるかぎり日本は分断されない。


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