メール仲間に理けじょ(専門職)がいる。たまのCCメールは飾りけなし、数行だが、「あっ」と気づかされる新鮮さがある。なるほど、そこに感動(人間模様)がかくれていたんだ。「見て、あそこに咲いているよ」路傍の草木のおく、一輪の可憐な花を教えられる。彼女の賛美にはまったくわざとらしさがない。引き算なしに全肯定して読める。男はいくつになっても女性からの賛美によって慰労され生気を取り戻す。彼女を「詩人」と名づけるゆえんである。自己へでなく、もっぱら他への賛美(拍手)を気にとめている人はストレスがないと思う。写真は三ノ輪橋駅。以下は、1997年7月、私のHP「賀茂川の風にさそわれて」から転載。
アメリカの大学での話。卒業後はビジネス世界に身を投じる学生たちに、実業的にはほとんど役に立たない「過去の詩人の功績」を長年にわたって講義してきた老教授は自分の仕事に疑問を抱かないか問われて、矜持をもって答える。「たとえ詩がなにかをもたらすことはなくても少なくとも詩は物事の賛美の仕方を人間に教える。それで十分ではないだろうか。」
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