98歳で亡くなった金子兜太(とうた)氏と最後に会った黒田杏子(ももこ)氏が日経で書いている。「金子兜太を支えたのは、トラック島での戦場体験、日銀でのヒヤメシ、俳壇の保守返り、この三つだ。」が口ぐせだったとか。80代半ば以降は、この言葉を聞くことはなく、万事にこだわるところのない「存在者」になられたという説明。東大経済学部卒で日銀、大半は違うコースであっただろう。権威にはむかう反骨はしばしば左翼である。モデルがある山崎豊子著「沈まぬ太陽」の恩地元(はじめ)も東大法学部卒、買って出た労働組合委員長。文学的左翼にはニセモノ(自己陶酔、ポーズだけ)がまじっていた。金子兜太は本物だ。注目するのは、80代半ば以降の、いわゆる左翼バネの「軟化」である。右も左もあるものか。筋金を通しながら、だれをも受けいれる存在者として最晩年。
駒場学園祭の講演で恩地元のモデルに質問した。禿頭、眼光炯炯(けいけい)を覚えている。山田洋次監督も満州体験を踏まえた、立ち位置左翼でゆるがない。本物だ。
3月5日(月)午後、吉祥寺スタバで4月からの復職、シラバスの二人打合せ。その夜、地域課題の解決NPOの立ち上げに向けて男5+女3=8名ミーティング、たまり場(写真)で。メンバーの志の高さ、濃さは、都心の立派なオフィスビルに負けない、それ以上。反骨のポーズ(笑)。
0コメント