国葬

句題:投稿

読む人に共通点が俺ブログ / 川柳にしたくも出来ぬニュース有り

句題:曖昧

返信はお気遣いなく暗に待つ / 目をそらし何処か逃げてるあの笑顔

1997年1月初めて発信したHPのタイトルは「フォトエッセイ in京都」である。いまから25年まえのこと。制度疲労のきていた大組織の中の閉そく感。「荒れ野で叫ぶ声」(聖書転用)、何か外に向かってわめきたい衝動。いま紙媒体でも特に地方紙読者の投稿欄は高齢者の居場所である。「成長する孫がかわいや」「連れ合いロス、思い出」「ペット(猫や犬)見て見て」など。言葉や文字の多少は別にしてそれぞれに痛切体験とマグマの感情がある。

週刊文春や週刊新潮で林真理子さんや五木寛之さんがエッセイを連載する。毎回が身辺雑記だが、話題の尽きることがない。筆禍事件を聞かないのはさすがプロである。そして最も書きたいことは躊躇するようだ。五木さんは満州引き上げ母のことをほとんど書かない。地元の製本業さんが自分史研究史の見本を見せて「吉永さん、作りませんか」とお誘いを受けた(、が)。せめて3周忌までこのブログを残してもらって誰かの目にとまればうれしいな。

9月20日「旧交」のFacebookへ自分でコメント(読んでくださる全ての方々に感謝)
ブログ記事の下、備忘録の会議ですが、議事録作成という大役があります。分散する意見や質問つぶやきを箇条書きに整理する。参加者の記録として欠席者への情報共有としてとても助かります。私の苦手とするところ。今回も端っこに座った店主(女性)がノートパソコンでGoogleドライブにリアルタイムに(何気ないふうで)書き込んでいました。ミーティングの終了と同時に議事録かんせーい情報共有です。オーナーは淡々と設営、裏方を楽しんでいるかのよう。この拠点に出入りして「さわやかな知性」を感じます。ブログではくどくなるのでFacebook自分コメントといたします。「運動は事務の堆積である」市川房枝

備忘録
9月26日(月)神保町の2番出口から日本武道館へ、翌日の安倍晋三さんの警備準備を見学した。探さないとわからない場所に吉田茂の銅像があった。歴史に大きく名を残すかどうかは国葬とは別だね。西郷隆盛は賊軍の将として死んだ。西郷さんの銅像がどこにあるか知らない人はいない。夫を失った悲しみでは公文書改ざんの責任を一人で負う形で自死した赤木さんの奥様の心中が思われてならない。改ざんで長期政権になった。ある意味で殺された。

朝に祈り夕べに感謝

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