我慢

軽石は 軸なく揺れて 右左 偏人
スマホ無い プールで 心 取り戻す 偏人 

作者による川柳の背景説明は禁じ手なれど。海底火山の噴火で沖縄の漁港などに被害をもたらした軽石群はその後どこを漂っているのだろうか。時事句だが立憲民主党の代表選まで想像する人は政治通である。強制的にスマホを身体から外している時間に、ありがとう。スマホの便利さを使いこなせることと依存症は境い目がない。全身を使う水中は、人間的だ。

11月にプール再開、顔を覚えてくれる人がいて「5年ぶりです」片手をかざす。ルーティンの図書館の新聞読みは2日に一度になった。ブログの投稿が減った。体重はやや減少傾向。パターンができた。先にサウナ、汗が胸肌をひとすじふたすじまで10分、時計をにらみながらガマン。この間に腕にロッカーのキーバンドをゆっくり巻く。次にアタマ身体を持参した泡立ちのよいタオルで洗いさっと露天風呂に入る。下半身の水滴を拭いて、水泳パンツを足から引き上げる。ゴーグルの内側にくもり止めを塗る。水中を歩きながらゆっくり指ひれを付ける。歩いたり泳いだり30分から1時間。バタフライが復活できない。スクワットは続けてきたので、水を下に押し込む両腕の筋肉が落ちているのだ。お友達にクロールと背泳を見てもらって、かく時に右腕が曲がると指摘された。自分の意識と客観的な見え方が違う(これ大事)。退出ロッカーを開けると着信が気になるが、着換えてカウンターの外に出るまではスマホを見ないことにした(ガマンの5分)。週2、3の回数は外耳の様子を見ながら。

備忘録

12月15日Facebook投稿、自家マンションの防災訓練、12月5日、マンホールトイレで居住者が座り心地を試している写真は、マスク帽子ながら個人が特定されたようだ。キケンを感じて車椅子初体験の写真にはモザイクをかけた。被写体の方に失礼しました。瀬戸内寂聴さんが3歳の娘を残して夫の教え子と出奔した事情に戦中事情がある。親の決めた見合い結婚で北京へ渡った。当時は結婚相手を本人の好き嫌いに関係なく親が選ぶ。愛はなくても子供はできる。娘さんはいま70歳代米国在住でお孫さんがいる。寂聴さんは娘さんの結婚祝いを贈ったが受け取り拒否された。その後和解。いわさきちひろの初婚を思い出した。家庭に収まらなかったのはちひろの画才であり寂聴の文才である。才能は煩悩だ。12月24日(金)午後から巣鴨商店街の縁日、神保町で降りて東京駅を経由銀座まで歩いた。汗が出ない寒さ。和光、パンの木村屋、山野楽器、教文館。19000歩、このコース何度目か。今年も健康に過ごせた。いくつかのコミュニティでおおむね楽しい交流があった。CCメール、ホームページ作成、オンライン普及etc、よかぶった?同調圧力を反省。朝に祈り夕べに感謝。


朝に祈り夕べに感謝

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