無才

酒料理 出なきゃ本音も 出ないのね 偏人

上記は3月の時事句に投句した。その時期テレビ新聞は菅正剛氏が接待要員(便利屋)として使われ、NTTが自前の迎賓施設で、総務省幹部と懇親したニュースでもちきりだった。携帯料金値下げ政治決断を演出する(内閣支持率アップ)ための出来レース(八百長)である。当時のニュースと合わせれば旬の句だが、やや色あせたかな。時事を超えて評価できる句を目指したい。工夫は、料理酒では酒になるので酒料理としたこと、「出なきゃ」「出ないのね」のリフレインである。かつて夜ごと夜ごとの社用族は女性排除の悪習。

安野光雅、藤原正彦の対談をまとめた新書を読んだ。安野光雅(あんのみつまさ、1926年-2020年)の本業は画家。科学、数学、文学にも造詣が深い。そして確固たる背骨。マルチタレント、天は二物も三物も与えた。イラスト一枚を描けずハーモニカも吹けない私は浅学非才の普通人である。ハーモニカは小学校で少し吹けた。新聞でハーモニカ、ウクレレ、ギターの入門セット(教則DVD付き)に関心はあるが手を出すところまでいかない。水彩画、なにかの楽器演奏ができたら閉塞感のあるステイホームは変わるだろう。

毎日のルーティンワークであるゴミ出し、風呂、トイレ掃除、食器洗いに才能は要らない。分担外だが、ベランダ菜園や手料理もその気次第だろう。そうだ私にも「こだわり」「好き」ある、ある。なんでも見てやろう聞いてやろうの好奇心、ありますねえ人並み以上に。気が多い、たしかに。熱しやすく冷めやすい(感じやすい)。控えめな人の隠れた美点を見つけて賛美する、拍手を送る。(自己満足ながら)個性と認めていただけないか。その場を和にする努力、ひょっとして「得手」になるかもしれない。

来週からまた対面に移る昨夜のオンライン。「あら、吉永さん、どっか温泉からでも」バーチャル背景が障子なので、冷やかされた。「はい、東京脱出、仙台の秋保(あきう)温泉に来ていま~す。連れの女性はカミさんではありません。」ここでどっと失笑がくる。「、願望があるんでしょ」とたたみかけられた。受けねらいが好きである。どうせなら楽しくやろう。画面に並んだ女性方はともかく、「また吉永の軽佻浮薄、あいつアホや」気分わるい、もあることだろう。そうそう誰にもいい顔していたらなんにもできない、

備忘録

Facebook、Instagramに素人写真があふれる。撮りまくり載せまくり。素人もプロも見分けがつかないデジタル時代。デザインの固定されたFacebookやBlog。比較して、プレハブながら自由設計できるホームページ制作はどうだろうか。「朝に祈り夕べに感謝」HPで遊んでみた。自分なりの提案である。厳密にはWebプログラムだが知らなくても好みにデザインできる。画面のレイアウト、コンテンツ(画像、動画、テキスト)の配置。自分がこう(表現)したいと思うかどうかがすべて。思い(や努力)は才能ではない。




朝に祈り夕べに感謝

0コメント

  • 1000 / 1000