笑顔なら タダでみんなに 上げますよ 偏人
Facebook、Twitter、Blog、不特定多数に向かって発信が盛んな時代。私の身内や知友で「ブログなんかやる人の気が知れん」という聞こえよがしのつぶやきがある。このつぶやき実際はもっと多いことだろう。ダケンド、昔から「物言わぬは腹ふくるるわざなり」、云いたいことを胸のうちにしまいこんで我慢するのは精神衛生上よろしくない。飲み会で口角泡をとばし(これ発信)女子会で我を忘れておしゃべり(これも発信)をする。飲み会も女子会も禁止。ネットに発信ツールが百花繚乱、無料だからその「、なんか」さんや「発信本能」が加速する。
同じ話のくりかえし酔っぱらい、仲よし女性の盛り上がりに遭遇したら、その場を逃げるが勝ち。この人うるさいなと思ったらFacebookでは通知不要に、メールは受信拒否ができる。見なきゃいんだし現に見ていないと思う。私はメールの最後にしばしば「返信のお気づかいなく」を追記する。自分中心の話に夢中、「あ、しゃべり過ぎ、ごめんな」で黙るあのしぐさ。アクセス数やコメントにこだわれば既にテクノストレス自業自得。
認証はだれも否定できない願望(幸福)である。不要不急メールやBlogを「、気がしれない」拒絶の方々は、ネット不要の居場所(家事、趣味、奉仕、労働)を持っておられると拝察。頼られる専門職、部下が報告にくる幹部、身内や地域での存在感。他から有り姿を認められる、認証まで迷惑という人がいるだろうか。俗世間を嫌った鴨長明。自分を忘れられたい、ではなく「隠遁を認証」してほしい内心があったから方丈記を残した。
日常の飾らない描写、見事な風景写真、楽しませていただいて退屈しない。非常勤やNPOを渡りあるく普通目線たちの自在な発信に目をみはる。私にも読みたい記事、敬遠したい写真はある。「夢中になっているプライベート人物やペットの写真」、あまりに頻度が多くなるといかがなものか。幼児には肖像権があり悪用の危険もある。他人の目に触れる投稿である以上、自己陶酔になっていないかどうか、抑制。が、「気がしれない」とまでは思わない。コロナ禍の在宅強制、小人閑居して不善をなす。一人遊びは健康的だ。
備忘録
画像は京都永観堂のホームページから借用しました。みかえり阿弥陀仏。コロナ収束後に滞在したい街、京都。ゴールした 池江璃花子の 返し顔 偏人 句会で課題:にっこり、一票をいただきました。次元は違うが、私のFacebookやBlog上の顔写真は集合写真からのカットです。面相造作どうでもよく、見かえり笑顔を自分では気に入っています。
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