こぶし挙げ 池江璃花子が 水叩く 偏人
この数年、敵前逃亡が続いている。と、まで卑下することもないか。雇用契約があり報酬もあった団体職員、学校講師、辞めてくれと云われたわけではないが、自分から期限をきって降りた。団体や学校には方針があり、自分には別の方針(こだわり)があり、このまま居ても惰性とモヤモヤしかないと思った。年齢は関係ない。詳細な引き継ぎ書を準備し有力な後任に恵まれた。後顧の憂いはない。数年後に、残した引き継ぎ書での質問はうれしかった。
いくつかの地域コミュニティでも辞退を続々。代表や理事長は全体のまとめ、実務以外に人間関係の調整で苦労した経験は1回で十分。監事(会計)へお声がけもあったが経験がない。明日は知れない身が責任者では迷惑だ。あれこれの委員も辞任した。身内Aは「あなたは出しゃばんなさんなよ」とけん制する。組織内に応援席は必要、人と交わるのが好きなだけだよ。自分が目立つより全体のことを考えている人材を発見するのは喜び幸せ。
会えば言いにくいので退任はメールですませた。「またご参加頂ければ幸甚に、」「何かあればご協力宜しく、」的なラブコールをいただいたのは望外の幸せ。スポットお手伝い、もちろんです。「吉永、引っ込んでくれ」とキラわれてはいなかった。続投もある。あるコミュニティでは会長のご逝去に伴い「H会長、A収入役、吉永メール担当」の布陣にしていただいた。飲み会(食べてしゃべる)会の万年(マンネン)幹事に負担感はない。
「オレががんばらなくては、」と力んでいる会の長(辞めたくても辞められない)は続投する。対面会議ができないので月3回ぐらいのメルマガを発信。話題の幅や深さについて一部の声を全体の声と誤認するおめでたさ。自己愉悦おめでたいから続いた。現職に突発事項、外にだれも代わりがない事態になれば、委員でも長でもやります(現役復帰)。リリーフピッチャーなれどゲームを作る。「われには何時にても起つことを得る準備あり」(石川啄木、墓碑銘)「十年一剣を磨く」、ドン・キホーテを支える家族の小康にありがとう。
備忘録
多くの病気療養中の人に対して「あなたも池江璃花子みたいにがんばりなさい」と励ますのは同調圧力である。絵などの芸術表現で特異な才能を発揮する障がい者がテレビで紹介される。「あんな才能が眠っている、親の方向づけだ」と期待するのは同調圧力である。雲も不運も幸も不幸も比べるのは空しい。無意識の上から目線で人を裁くなかれ。たとえ回復しなくても傑出しなくても「いまのままそのまま」が尊いと思いますがいかがでしょうか。
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