面影

韋駄天を 近江の人と 惜しみける 偏人

今週は月例句会に10句投稿しなければならない。素浪人に珍しく「期限あり」「ねばならない」のプレッシャーを楽しむ。そして「未発表に限る」、このBlogやFacebookに載せたものは投句しない。自らを律するマナー。よって冒頭の句はここだけの句である。韋駄天(いだてん)はマラソンランナー、芭蕉の「行く春を近江の人と 惜しみける」をもじっただけ。クスッと笑える生命線はない。滋賀に18年住んだ。近江路に思いれはある。河野裕子「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり」名歌とともに。

本日の投稿のテーマは「面影(おもかげ)」、長年親しんできたブログをクリックしたら削除されていた。先に「ご逝去の報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします。」と弔電した。折ふしにこの方の記事を味わうことで「在りし日のお姿を偲び」たかったが残念である。たぶんご遺族は遺言をそのまま実行されたと思う。遺言は絶対だ。デジタルネットワークの時代になって、生きた証しブログの読み返しは、ある意味、墓参やお通夜葬儀の参列よりも哀悼の意を表することになる。なにかの形でネット墓標は残せなかっただろうか。自分のパソコンにだけテキスト、画像を保存することはできた。

ある友人のブログは本人の闘病記が続いて、とつぜんの最終稿、ご遺族(娘さん)から「父の訃報」が載って閉じた。これも遺言だと思う。友人1としてコメント投稿で哀悼の意を表した。それがよかったかどうかわからない。私の場合はどうするか。家族、兄弟とも対話しているようで少なかった。このブログをしばらく置くことで「思い出草」にならないだろうか。駄文の羅列につき恥を残すことになるかもしれないが、最後の自己満足を許していただきたい。Ameba Owndの、投稿編集ユーザー名、パスワードをだれに相続するか。SNSやHP、Blog運営会社において、2年以上更新のない無料サイトは、本人の生前アドレスに通知、一定期間の猶予を与えたのち削除とか、あまり無粋でない自動化をお願いしたい。

備忘録

画像2点はネットから借用。びわ湖毎日マラソンの顛末はゴタゴタ書くより写真が雄弁。琵琶湖の桜、名所多数のなかで、下のがいちばんピタッときた。北湖西岸、海津大崎あたり。




朝に祈り夕べに感謝

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