抗議

オンライン 会話弾まぬ 嫁姑 偏人

ブログの記事に関して2度ほど読者から抗議(コメント)を受けた。1度は境内で、薬丸野太刀薬丸自顕流の奉納演武を見学した感想記事。幕末で中村半次郎→明治になって改名、桐野利秋が使った必殺剣法。きえーっという猿声で撃ちまくる。動画に撮って編集しブログにアップした。マイクの司会者が演目ごとに「明治の薩摩の精神」とやたら強調するので、その解説は余計だ、武芸として純粋に素晴らしい、稽古の賜物、という趣旨のことを書いた。

その場にいた門人らしい方が私のブログを見て、師匠をけなされた、失礼だ、今後は演武を観てほしくない、というクレームだった。私は感動したのであってケチはつけていない。なぜ薩摩の精神を紐づける必要があるのだろうか。では現代に生きる薩摩の精神はなにか。西郷さんは「政府に尋問の筋これあり」を大義として中央に反乱を起こした。その反骨精神は薩摩から消え、沖縄に移った。維新の自顕流と薩摩の精神を真に兼備している人は今どこにいるか。私はブログの表現を変えなかった。この真摯な読者は納得されたようだった。

2度目は、会社風景を男目線での観察記事だったと思う。知人の女性から「女性差別」とか云って抗議のコメントだった。女目線もあれば男目線もある。女性蔑視とは思わなかった。誤解だと釈明し、不快にお詫びのコメントレスをした。今にして思えば森喜朗さんと同類項である。本人は差別と思っていない。意識の底だから。女性から見ればカチンとくる内容だったのだろう。

過去のブログはもうパスワードの倉庫にしまっているので、一々チェックしようがないが、抗議のコメントはそれなりに印象に残る。3度目も女性からだった。どの抗議コメントにも「あ、そうですか」と修正も削除もしなかったのは私なりの矜持と責任。あまり思い出したくない。渦中の総務省、谷脇康彦さんのブログ「タニワキ日記」は全削除されたようだ。が、一部は消されていない。語弊はあるが、ブログは日記にふさわしくない。

備忘録

天皇陛下誕生日記者会見から

「昨年の4月から大学生になった愛子は、新型コロナウイルス感染症の影響により、オンラインでの授業が続いておりますが、昨年秋に初めて大学に登校した際に『大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら、様々なことに取り組んでいければと思っています』と語っていたように、大学での勉強に意欲的に取り組んでいることを私と雅子もうれしく思い、また、少し頼もしくなったように感じております。

オンラインでの授業では、課題もかなり多く、愛子もその一つ一つに一生懸命に取り組んでおり、大変そうですが、授業を準備される先生方の御苦労も大きいものと思いました。

私たちも、愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もありましたが、私たち自身も、新たな知見を得ることができたり、何か学生時代に戻ったような気持ちになりました。」

画像は、お茶の水駅そばでニコライ堂の水彩画を描く女性、自動運転の進化のテレビ画像、いつまでも手間暇をかける価値あるもの、やがて消えていく手作業(運転)の対比。

















朝に祈り夕べに感謝

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