バーコード 撫で付け出でて 風吹かれ 偏人
川柳を作り始めた最初の句である。いわゆる自虐ネタ、高齢者が加齢現象を明るく笑う。自分の風貌や身体的な特徴を意図的に持ち出して笑いを取る、受けをねらう。あまり品がいいとは思わなくなった。低級漫才師の安易な手法、で以後止めた。他を笑う人は同じ理由で今度は(いつか)自分が笑われる。
半径50メートルの楽しみ2は室内の片づけ。狭いマンションに書籍、パソコン印刷の束、持ちかえったチラシ、USBケーブルなどデジタルグッズ、そして金物、プラスチック類があふれている。「あふれ」に圧迫され、暮らしにくい。百円ショップの小物はどうせ百円だからの感覚で買いあさったもの。外にばっかり目を向けて中がおろそかだった。家人が出はらったたっぷりのヒマ時間。ガラクタをすべて居間にぶちまけて要るもの要らないものを選り分ける。ガラクタは所を得て復活した。不用が用へ劇的な転換。
貴重な空き空間の奥に今は要らないもの、手前に要るものを配置する。朝晩の薬箱、体温計が一番手前にある。焼酎黒霧島の紙パックはもちろん手前。一連の軽作業は汗をかきスクワット効果、途中から寝間着も脱いで恰好おかまいなし。トイレ掃除も楽しい。水は身体やモノに付いた不純物を跡形もなく洗い流す。汚が清に劇的に変化する。できれば過去も洗ってほしいものだ。正岡子規の病床六尺よりはるかに広い贅沢空間と贅沢時間である。
3月にはよく行く大型の百円ショップ(略称:百均)の棚の半分が空になった。今はサプライチェーンが再構築され豊富な品揃えに。どうせ百円だからの態度を真摯に反省し、新規購入は熟慮しよう。半径50メートルの楽しみ3はスポーツ観戦。11月8日(日)の早慶戦。早稲田に縁もゆかりもないが、できれば応援席にいたかった。いや、一瞬に逆転され地に伏す敗者の涙、歓喜で飛び上がる勝者の涙、ぐしゃぐしゃの顔々のアップはテレビ観戦(ステイホーム)ならではである。
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