句題:FIFAサッカーワールドカップ カタール
ストレスと歓喜くるくる胃に悪い / 絞り出す敗者の弁が胸を打つ
ミサイルを撃ち合うよりも球蹴りを / マスコミがナショナリズムを煽り過ぎ
どう見ても力の差無く運だけだ / ブラボーはベスト8を見ずに消え
徒歩5分の図書館で新聞読みが趣味である。全国紙の比べ読みだが、赤旗と産経新聞は同じニュースでも扱いに差があるが意外にナショナリズム(日本ファースト)で共通する。公明新聞は選挙前に候補者の顔が一律大写し(仁王様)になる。読売、毎日、東京新聞の川柳欄をチラ見する。朝日の川柳は政権批判。強者に迎合は受けない。日経は経団連の広報紙。政治オピニオンではネット右翼、ネット左翼があるようだ。「自分たちは真相を知っている。無知なやつに教えてやる。」と仲間内で盛り上がり外を罵倒する。他派に「ナンセンス!」自派に「よしっ!」は学生時代にうんざりしたので関与しない。絶叫と熱弁は変節する。
人生案内はたまに読む。見出しに「お孫さんは?」悲しい気持ちになる、50代パート女性 を読み回答も読んだ。子孫係累、家財産、名声、健康、才能、地位、学歴、身体特徴、etc。相手に有って自分に無いもの。あれが無いこれが無いと思えばキリがないのではなかろうか。係累が増えると失う悲しみも増える。失うことへの不安がある。あれが有るこれが有るでいこう(なんちゃって)。「幸福は相手の所有にも自分の所有にもなく、二人の間の気持ちの通い合いにある」喜寿の信念になった。触れ合う素材はどんな些細なことでも。
父母のいない人はいないが、若くしてどちらかの記憶が薄いか無い人がいる。家族の事をあれこれ書いていたHP記事やBlogはパスワードの奥に格納した。私の句会では「孫が可愛や」を詠んだ句は内容がほほえましくても全て選外(NG)である。その基準を知らなかったがなるほどと合点した。掲載した記事は朝日新聞2022年11月29日、読者の投稿「声」に掲載されたもの。実名で年齢も書いてある。私は他の文章に感知コマかい。この短文はテーマに対し簡潔で気負いや飾り(形容詞)がない。活字の立つこと志賀直哉のレベルである。よくある新聞投稿のパターンとは別格。「書きますわよ」「載ってうれしい」投稿マニアでもなさそうだ。自家でトイレ掃除をするがこの方ほどの気持ちが入っていない。知性が高い、雑多知識ではない。ひょっとしてわが母校の後輩では、と。ひそかに範としよう。
備忘録
12月9日(金)のボラセン夜の対面「大都市における外国人支援の取り組み」4回シリーズの第1回で参加者15名の発言。自己PRの男性もいるが、その真剣なこと、50代の会社会議以上の迫力に煽られた。司会は公平。1分の制限時間オーバーは許容。9日は仮眠ほぼ徹夜に近い状態で、10日(土)午前NPO理事会でのプレゼン、パワーポイント4枚を仕上げた。定例10日のブログ更新が遅れた。こんなことをやっていると命を縮めるかもね。でも納得です。
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