飯田線
投稿日 : 2017年8月22日 | カテゴリー : たまには旅に
飯田線は、長野県の岡谷(辰野?)から、愛知県の豊橋までのローカル線である。8月20日(日)朝、赤羽発、武蔵野線、西国分寺中央線に乗り換え、甲府、岡谷と経由して、待望の飯田線へ、天竜峡乗り換えで、豊橋に泊まった。翌21日(月)は、浜松、富士で身延線に乗り換え、また甲府、武蔵野線経由で帰ってきた。
駅名がずらりと並ぶ、全国鉄道路線図は壮観だが、駅名まで見えるように画像を載せようとすると長大になる。そこで、ホテルでスマホで撮影したイメージ図で、想像いただきたい。黄色マーカーが旅路である。天竜峡で乗り換えると、山峡をくぐるような秘境が現出した。
1日目が約12時間、2日目が約10時間、地方の人々のおだやかな表情、窓外の景色にぼんやりと目をやってまったく退屈しない。学校用のビジネス書、3冊を持ってきたが、開く気にならなかった。それでいいのだ。その代わり、リュックが重かった。帰って測ったら、約6.5キロあった。身延山、久遠寺の287段の階段でかなりの負荷になった。身延山、久遠寺詣では別項とする。
特筆は、甲府で前席になった、外人、青春18きっぷ、愛好者である。このおじさんの風体を描写するに、四つ角がすりきれ汚れたトランクカバン、青色、ジーパンは両方とも膝がはみ出して見える。左ひざをいためて包帯。上衣はダイダイに近い赤、帽子にも赤色が入り、全体として、デザインがキマッテイル。リュックは上の棚に置き、手元に上空きの袋。浮浪者の持ち物ふうである。
意を決して、どちらから来られましたか、と英語で。東京から来ました、と日本語で返事、ありゃー、よくあること。新宿の早稲田に住み、日本滞在20年、出身はオーストラリアだそうだ。お互いの切符を見せる。私は今日で5スタンプ目、あちらは3スタンプ目とのこと。それから、ちょっこっと英語もまじえてくれての会話が楽しかった。
飯田線は3回行きましたとのこと。ただものではない。廃線を歩くこだわり。おすすめとして水郡線(水戸~郡山)、近場の鶴見線を紹介してくれた。そのたびによこの手提げ袋から分厚の時刻表8月号の路線図を出して説明してくれる。スタンプ台紙を持参し、各駅で押したもの、大事そうで、時刻表も含めてそれぞれビニール袋から取り出し、冊子にオレやヨゴレがない。デジカメ写真をカメラのまま見せてくれたが、いわゆる美しい景色ではなく、独自の視点と感性がある被写体とアングルに感服した。
おじさんはビール缶、チューハイ缶をぐいぐいと開ける。インテリふうてんの寅さんですね、と言ったが、通じたかどうかはわからない。中央線、相模湖の夕日を見るとかで、あたふたと握手して別れた。車内で写真を撮りたかったが言いそびれた。窓から写したピンボケで想像してください。私の仲間内での青春18きっぷの旅、先達は若い友人Rさんである。また一人、お名前も行くへも知らず、その道のプロとのよき出会いになった。
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