手洗いと マスクが効いて 風邪ひかぬ 偏人
支持率の 回復策は 給付金 偏人
恒例のサラリーマン川柳が発表され、優秀作がテレビや新聞のコラム欄で取り上げられる。実感だけでなく飛躍した想像や若い日の思い出もよき題材。作者層は会社の中堅以下に位置する。現実を斜め視線で切り取ってクスっと笑わせる余裕。部下たちは組織の圧迫、上司のご機嫌をうかがいに「嘆きのつぶやき」が発露する。大企業社長の川柳は聞かない。
「ぼやき川柳」の作者層は高齢の男性、女性は少ない。直面する困難は自身や妻の健康不安、身体機能の劣化、老々介護である。女性が長生きするとは限らない。同窓女性二人が急逝した。物忘れやスマホが使いこなせないことを加齢とし自虐ネタの川柳に詠む。それ以上の広がりがない。住む家があり年金がある元気シニアはある意味「安全地帯」にいる。
夫源病(ふげんびょう)は辞書にはない流行り病である。定年後の夫がすることもなく居間を占有しテレビを見ながらごろごろ。発する言葉は「飯はまだか」だけ。妻は外で発散したいが巣ごもりでストレスはたまるばかり。高齢女性は「ぼやき川柳」の作者として資格十分である。家事本業の主婦は生涯現役、日々現実と丁々発止している。穿(うが)ちに期待。
新聞の投書欄はメールをやらない女性の居場所である。祖父母が紹介する幼い孫の挙動は新鮮な驚きだ。純にして遠慮のない言葉の快感。児童、生徒、学生のつぶやきを川柳にまとめてほしい。五・七・五の特に上の句は字余りでもよいとされる。七・五のこだわりは耳に心地よいリズム感。絵や音楽、運動とちがって「語感」があれば好きも才能も要らない。
備忘録
上記の本文において私のBlog口ぐせ「、、、ではなかろうか」を意図的に避けた。一国の首相はどうか。安倍さんの口ぐせ「、、、んだろう、と思います」、菅さんは「、、とこう、思います」が耳につく。原稿のない記者団とのぶら下がり(取り囲み取材)で頻発。断定するには自信がない。言質を取られないよう逃げ場を作る。コロナの専門家会議をはじめ専門スタッフに囲まれた首相はもっと自信をもって進む方向を示してもらいたい。危機感や熱意が感じられないつぶやきの羅列、どこか頼りなげ、ではねえ。
演説に酔い国民を煽ったのはヒットラー、毛沢東、フセイン、東条英機。55年前の学生集会ではタオル覆面のアジテーター。マイクで「、、、ねばならないっ!」と絶叫、呼応するのは徒党の「、よしっ」または「、ナンセンスっ」、どちらも問答無用の断定である。マルクスの読み違い、社会発展の法則、エセ革命によってもケインズ信望、市場へ自由放任によっても経済社会は破たんした。アジア人蔑視のヘイトスピーチや凝り固まった過激派でないかぎり「、、、そんな考え、見方もあるね、」と許容、相手にさりげなく気づきや再考をうながす。戦争、紛争、経済の仕組みでは指導者の断定は禁物である。
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