秩父

改革を絶叫するが実は保守 / 既得権本丸避けて砦攻め
桜島桜何処にと島巡り / フリちんで鮒を掴んだ天降川
あのひとに会ったばかりに幸不幸 / お互いに会ったばかりに運不運

4月17日(月)内幸町で降りて霞が関から虎ノ門ヒルズへと歩く。見上げれば後ろに転倒しそうな高層ビルがニョキニョキできていた(建築中も)。増上寺の近く芝公園の一角、港区立図書館へ。新聞休刊日で書架を見ていたら藤沢周平の棚があった。時代小説でも司馬遼太郎が英雄史観「余談だがこんな傑物は当時世界のどこにもいなかった」と愛国心をくすぐるのに対し、藤沢周平は暴君信長嫌い、いわゆる偉人は書かない。結核で教師を辞め、上京して業界紙の記者になった。最初の妻を病気で失い乳飲み子を抱えて生きねばならなかった。庄内弁を愛し作家として大成功してからも中学の同窓生が東京に訪ねて来ようものなら玄関で「おー上がれ」と抱きかかえるように招じ入れたそうである。藤沢の生涯ただ一度の選挙応援演説は山形師範学校(山形大学教育学部)の同期、元共産党山形県議の小竹輝也氏だった。「ふだん私は、こういうことには慎重な方である。それは、ほかのひとはいざ知らず、非力な作家である私など、特定のイデオロギーに縛られたら一行も物を書けなくなるだろうという気がするからである。また政治家の人間の把え方と、作家の人間をみる眼は違うという考えもある。」控えめで美しい表現ながら日本共産党への好意と信頼がにじむ。小竹輝也氏は落選した。当落や議席の増減には関心あって関心なし、有権者のプライドと読めた。

備忘録

4月15日(土)クラス会10人。雨の中カラオケ4人。これは関東中心会であるが次回の全体会へ向けて往復はがきを印刷24名で4月17日(月)朝投函した。「あーだこーだのプロセスを楽しむ」「世話役をやらせていただける幸せ」。4月19日(水)夜は地元運動体のHP編集会議オンライン。アクセス数(いいね!)が話題になったので持論を述べた。選挙と似る。政策の強靭さ理想の高さと時々の有権者の投票数、選択は別物。ベストセラーも同じく。世界を駆ける大学現職、会話障がいの女性、元全共闘、多士済々にオンラインは平等を提供する。4月20日(木)晴れ、新緑を求めて秩父へ。行きは赤羽から高崎線熊谷乗り換え東武線の長瀞で降りる。岩畳への道に店は多いがどこも客は少ない。秩父で秩父神社、道の駅「ちちぶ」で蕨を灰付きで買い、西部秩父駅へ歩く。帰路は池袋へ。往路で運賃は倍ほど違う。




朝に祈り夕べに感謝

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